2012年6月15日(金)
葬儀場で葬儀と告別式、斎場で火葬・拾骨を行い、会葬者が頻繁に集えないことから本来7日後に行なう初七日法要を引き続いて行ないました。そんな中、故人を偲ぶ話で叔父は、入院直前に会社へ出社する時に叔母に「くさや」(開いた新鮮な魚をくさや汁浸け込み天日に干したもの)が好きかと尋ねて出かけたとのことです。叔父は、仕事後の会食場所の店に入るとすぐ女将に「くさや」をお土産に頼んだとのことでした。既にその時点では叔父は、自分が口にすることが出来るのは、ほんの一口(少量)となっていたとのことです。「くさや」を手土産に帰宅後、(長年連れ添った叔母に対して一度も手土産など持って帰ってきたことなどなかったそうです。)叔父は叔母に手土産を渡し「「くさや」を好きな女は良い女だ」といったそうです。それを聞いて、それは叔父の叔母に対する「いままでありがとう」の気持ちの表れのように思いました。自分の思うように生き、叔母の愛情に支えられてきた叔父が、叔母に対しての最後の感謝言葉、行動ではなかったかと思えます。人生八十年と言われる現代において、六十五年と言う期間を太く短く生き、最後にそうした気持ち(行動)を残せたのですから、叔父も自分の人生に満足をして旅立って行ったことと思います。であるならば、いまは、心安らかにその冥福を祈るばかりです。
葬儀場で葬儀と告別式、斎場で火葬・拾骨を行い、会葬者が頻繁に集えないことから本来7日後に行なう初七日法要を引き続いて行ないました。そんな中、故人を偲ぶ話で叔父は、入院直前に会社へ出社する時に叔母に「くさや」(開いた新鮮な魚をくさや汁浸け込み天日に干したもの)が好きかと尋ねて出かけたとのことです。叔父は、仕事後の会食場所の店に入るとすぐ女将に「くさや」をお土産に頼んだとのことでした。既にその時点では叔父は、自分が口にすることが出来るのは、ほんの一口(少量)となっていたとのことです。「くさや」を手土産に帰宅後、(長年連れ添った叔母に対して一度も手土産など持って帰ってきたことなどなかったそうです。)叔父は叔母に手土産を渡し「「くさや」を好きな女は良い女だ」といったそうです。それを聞いて、それは叔父の叔母に対する「いままでありがとう」の気持ちの表れのように思いました。自分の思うように生き、叔母の愛情に支えられてきた叔父が、叔母に対しての最後の感謝言葉、行動ではなかったかと思えます。人生八十年と言われる現代において、六十五年と言う期間を太く短く生き、最後にそうした気持ち(行動)を残せたのですから、叔父も自分の人生に満足をして旅立って行ったことと思います。であるならば、いまは、心安らかにその冥福を祈るばかりです。